廣中美子(神奈川県)
廣中美子(神奈川県)
出すぎず引きすぎず
サポートします
廣中美子(神奈川県)
あれから何年の月日が流れたのでしょうか。
15年前のことになります。
旅行系の専門学校に、日本で初めて、お体の不自由な方、高齢な方の旅行をサポートする人材を育成する、
ユニバーサルツーリズムバリアフリー学科が出来ることを知り、興味を持ち、入学を希望しました。
ところが、学校側からは、卒業するときに私の年齢が55歳ということで、
就職の確約が出来ないから、と入学を断られてしまいました。
諦めきれないでいるときに、新設の学部長として専門学校に招かれた、当時、バリアフリー旅行の草分け的存在の小野先生の「バリアフリーを学びたいというのに学校にバリアがあってはならない」との一声で入学が許されました。
小野先生は、現在、あ・える倶楽部の品質保証担当としてご活躍されています。
クラスメート達とは35歳の差はありましたが、現在のトラベルヘルパーとしての基礎を学んだ有意義で貴重な2年間でした。
JRを利用しての車いす移動介助の授業の時には、
巣鴨の駅長さんから、「他のお客様のご迷惑になるから・・・」とやんわりと注意を受けたこともありました。
その時も小野先生が
「学生たちは、卒業後は、JRをはじめ鉄道関係や旅行会社に就職します。これからの世の中には、この様な授業が必要なのです。ご協力をお願いします」
と力説され、その後のJRでは協力して頂けるようになったことも今となっては懐かしい思い出です。
2年生になり就職活動が本格化してきた時、新聞であ・える倶楽部の篠塚代表の記事に出会い、
この会社に入りたいと、電話で年齢制限はあるかどうかをお聞きしたところ、
年齢で区切るようなことはない。試験を受けてくださいとの嬉しい言葉がありました。
就職試験を受け、無事合格。
55歳の新入社員としてあえる倶楽部で働くことになりました。
新入社員時代の廣中さん
その後、トラベルヘルパーとして13年、
お陰様で旅行教室を含めると約170件ほどの業務に就かせて頂きました。
その一つ一つにドラマがあり、思い出があります。
お客様であるその方の人生の機微に触れることで学びがあり、得るものが沢山あります。
一つの仕事が無事終了した時の安堵感、充足感はトラベルヘルパーならではのものではないでしょうか。
トラベルヘルパーの紹介動画にも出演しています
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トラベルヘルパーと認知症の方のブルガリア旅行。
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この15年間、世の中もかなりの変化がありました。
バリアフリーという言葉はそこかしこで見られるようになり、
それに伴い環境も人にやさしくなり、車いすで街に出かける人も多く見られるようになりました。
介護旅行、トラベルヘルパーもテレビ、新聞等のメディアで取り上げられました。
色々な道のりを経て、この結婚式の写真のようにたくさんの素晴らしいトラベルヘルパーの仲間たちが誕生しました。
トラベルヘルパーショッキングには様々な介護旅行の様子が笑顔いっぱいの写真と共に見られるようになりました。
皆様の記事を、共感したり、感動したり・ みんな頑張っているなぁと嬉しく楽しく読ませて頂いています。
これから日本では、オリンピック、パラリンピックそれに加えて大阪万博と国際的なイベントが続きます。
トラベルヘルパーの力を必要とされる方が増えてくることでしょう。
皆様の活躍がこのトラベルヘルパーショッキングで拝見出来ることを楽しみにしています。