『私がトラベルヘルパーになったわけ、そしてこれから』宇田川広子

宇田川 広子

過去をさかのぼる事10数年前高齢者デイサービスで働いていた時、沢山の方とお話しして来ました。
ある方は、福島の田舎で嫁いだ家で一人暮らしをしていた方が脳梗塞で倒れ、気づいたら病院のベッドの上だった。次に気づいたら東京の息子の家だった。
「あのご先祖様から受け継いだ家に帰りたい、一人でのんびり生活したい、近所の人にさようならも言えなかった、あの景色を見たい…」と何度か訴えたが返って来た言葉は「入院している間に家も家財道具もすべて処分してきたから帰る家なんてないんだ、わがまま言うな!」だったそうです。

ある方は高度成長期の日本を支えてきた男性で「学生の時、慶応で野球をしていたので後輩の早慶戦を観たい、昔働き盛りの時に毎晩のように銀座の飲み屋に通っていた路地のおでん屋さんなど今どうなっているか?そこのママはまだ働いているのか?会いたい、もう1度行ってみたい」といろんなお話しがありました。
そこでそのそれぞれのささやかな夢を叶えるにはどうしたら出来るのか?私は何が出来るのか?今すぐ出来なくても、出来るようになるまでに私は何をしたらいいのか?どんな勉強をしてどんな資格が必要なのか?と考えるようになりました。

周りの友達や仲間にいつの間にか私の夢となったその事を話すと、「そんな事出来る訳ない、何夢物語を語っているの?現実を見なさい」と言われてしまいましたがそれでは何も変わらないと思い仕事の合間を見つけていろんな勉強をして資格を取り、いくつかのパターンの違う職場で経験を積みボランティアをしたりしてあ・える倶楽部と出会い、今私の夢である「高齢になっても、体にしょうがいがあっても病気になっても誰でもその方の行きたい所に行きたい時に行けるお手伝い」が実現出来ています。
そしてこれからも自分の体が続く限り続けて行きたいと思います。

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